作陽史に、善陀山安養寺医王院は、古呂々尾中村にあり、慶長十年(一六〇五)住持宥什と記されています。その前は不明です。
以降正徳年間(一七一一〜)宥常法印、宥桂法印、天保年間 (一八三〇〜)宥賢法印、本位法印、宥後法印、弘義法印を経て先住秀賢和尚、現住秀栄に至ります。
平成九年の本堂改築に当たり、秘仏本尊宮殿を開扉したところ更に、不動明王、愛染明王、二体の持仏が、お奉りされていました。それに補修を加え、それぞれ厨子を新調して安置しました。脇仏、阿弥陀如来、弘法大師像も厨子に収めてお奉りしました。
本尊薬師如来は天保年間(一八三〇〜)より霊験あらたか、特に、疫病等の流行に際し、御利益甚大といわれました。
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第四十七番
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善陀山
医王院
安養寺
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