作陽誌には、
「當寺清泰院は、上田邑の長継山千年寺の艮に在り、江戸時代の住職快長は、岩竇の中に聖牌を視つけました。牌面には、文治三年(一一八七)七月七日の文字が刻まれていました。
昔、赤松入道世貞は、兵を神樂尾城に據りました。山名時氏を撃ち抜き、安養寺で武運の祈祷と亡者の菩提を弔いました。寛文八年(一六六八)森長繼公は、長継山に千年寺を建て、安養寺は千年寺の鬼門に當たるので、寛文十三年(一六七三)三月墾田山林を安養寺に喜捨して永く千年寺壓鎮の道場となりました。
鎮守は、江戸時代に建っていました。本堂の北に八幡祠がありました。この祠は、元は神樂尾山に在り、城壘鎭護の神で、城が廢れたので安養寺に移祠しました。 神樂尾山の頂上八平米餘りの土地は社址です。」
とあります。
安養寺の鎮守は、神樂尾山に祭祀される天剣大明神です。縁日は、旧暦九月廿八日、十一月の申日です。末社に、軍神社と宇賀神社があり、宇賀神社は宇賀神堂として毎月朔日に祭祀しています。別途、白王大権現と、大沢大龍神を祭祀しております。
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第五十九番
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極楽山
安養寺
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