寺伝によれば和銅二年(七〇九)僧玄昉の開基で、その後鑑真和尚が開創されました。本堂裏からは多数の工板の仏塔が出土しており、平安時代には寺が確立されたことを裏付けています。
最盛時には山内二十三の塔頭寺院を構え、山外には数ヶ寺の末寺を配する大寺院でしたが、天正年間、岡山城主・宇喜多氏が日蓮宗への改宗を強要した際、頑として応じなかったため、寺領は没収、堂塔は悉く破壊され、末寺は改宗させられました。
その後、慶長十年(一六〇五) 豊楽寺蔵の大般若経によって、津山城で大般若真読が行われたことが縁となり、津山城主・森忠政公により復興再建されました。
寛文十年(一六七〇)の由緒書によれば、本堂の他計十六の堂宇があり、二十余の塔頭、末寺四ヶ寺を数えておりましたが、次第に衰亡し、明治時代には東ノ坊・西ノ坊・南ノ坊・向井坊のみとなり、現在は本坊に合併されました。古くは一山の総称でありましたが、今は本坊を豊楽寺と称しております。なお、当山山門(仁王門)は大変珍しい建築様式で、全国に四例しかありません。寛文六年(一六六六)森内記公により再建されたもので(平成二十一年に全面修繕)八脚に二層、三つの破風を持ちます。全国的には 埼玉・歓喜院の貴惣門が有名です。当寺の門は小規模ながら全く同じ形をしております。ご参拝の節にはご覧になって下さい。
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