本堂の峻険な屋根が目を引きます。
元々当所には、鎌倉時代中期に建立せられた比丘尼寺があり、桃山時代初期まで近くの大庵寺、後釈寺と並んで繁栄していました。
天正七年(一五七九)、三星城主の後藤勝基が戦火に追われ大庵寺で自刃し、家臣の浮川将監も後を追って殉死しました。その妻が勝基と将監を弔うため、出家し理月妙智尼となり、焼失した大庵寺、後釈寺を取り立て、松栄山長正寺を興したといわれています。その子勝吉も出家し、僧慧心となり、住職となりました。
本尊聖如意輪観音は行基作といわれています。
例年八月十八日夕に、施餓鬼供養祭とともに、大数珠回し、盆踊りが行われ、地域の老若男女により賑わいます。
近年檀信徒の切なる願いをもって、長寿ぽっくり観音を祀り、十月の末の日曜日に、大祈願祭を行っています。
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第十四番
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松栄山
長正寺
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