作陽誌等の古文書によると、日本に仏教が伝来した際、百済の聖明王より欽明天皇に献上された仏像が、当引乗寺の御本尊・阿弥陀如来であると記載されています。
欽明天皇は蘇我氏に一寺を建立させ、この仏像を守るよう命じました。この寺が日本最古の寺院である向原寺(奈良県)です。
その後、蘇我氏の分家である田口氏が、美作の国高田庄に館を構えました。貞観年間(八五九〜八七七)に、田口重如なる人物が、上田邑の地に欽明天皇より賜ったその仏像をもって、一寺を建立し(位置は現在地の三〜四百メートル北方と思われる)、来迎院阿弥陀寺と号しました。また田口姓をもって、山号を田口山と称しました。
天平年間(一三四六〜一三七〇)に、田口薩摩守光政によって現在の地に移転され、光政亡き後、光政の法号(戒名)の院号・引乗院殿より引乗寺と号するに至りました。
戦国時代には、戦乱の災いにより仏教伝来の砌の仏とされる御本尊も損傷を被り、新たな御本尊が造立された際に、その胎内に収められたと伝えられています。
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第五十八番
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田口山
来迎院
引乗寺
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