当山は天平七年(七三五)の秋、行基菩薩が梶並の地を巡錫した時、梶並神社の境内が誠に美しく、清らかな霊地であることに深く感銘し、この境内に薬師堂を建立し、別に一寺を建て、これを神宮寺と名付けたと伝えられています。
当時は仏教の興隆が盛んで、神仏同体説が唱えられました。大日如来は天照大神、阿弥陀如来は八幡神の如く、神を権現菩薩と唱え、僧侶は別当職として神事に参加し、神社の実権を分担し法業として神前に読経する風習が行われていました。
享保元年(一七一六)、幕府の宗門改革により、薬師堂は磯神社と改め、神宮寺は大日庵という山伏寺のあった現在の地に移しました。
また、津山城主・森忠政が当山の清浄なるに感じ、香水山と名付けたと、作州誌に書かれています。
近年は、檀信徒の協力のもと石垣改修、客殿新築等、境内の整備に努めております。
また境内のしだれ桜は見事で、遠くからも多くの観光客が訪れています。
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