当山は、応永年間頃(一三九四〜一四一五)の創建にかかり、「徳蔵坊」と号す。
慶長三年(一五九八)、領主・江原兵庫祐親次が、慶長の役で朝鮮出兵の折、釜山浦で病死したため、家臣がその遺命を受け、遺骸を持ち帰り、当坊に葬りました。同時に当坊の相応の荘厳を図って「江源寺」と改称し、江原侯の菩提寺としました。
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第二十五番
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金龍山
江原寺
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高野山真言宗
当山は、応永年間頃(一三九四〜一四一五)の創建にかかり、「徳蔵坊」と号す。
慶長三年(一五九八)、領主・江原兵庫祐親次が、慶長の役で朝鮮出兵の折、釜山浦で病死したため、家臣がその遺命を受け、遺骸を持ち帰り、当坊に葬りました。同時に当坊の相応の荘厳を図って「江源寺」と改称し、江原侯の菩提寺としました。
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