当山は神亀元年(七二四)行基菩薩の開基と伝えられ、正平七年(一三五二)近衛関白経忠公を葬り、菩提寺となりました。今でも子孫のお参りがあります。
昭和十六年までは法華山大円寺であり、現在の奥の院は天楽山弘秀寺といいました。昭和十七年に、二ヵ寺を一ヵ寺にして、法華山弘秀寺と改めました。
その昔は、大円寺と弘秀寺の間に十二坊のお寺がありましたが、消失してしまいました。寺名は残っております。
更新情報
第六十六番
/
法華山
大円院
弘秀寺
更新情報はありません。