安元元年(一一七五)、法孫有全師が開山されました。宝暦十二年(一七六二)、門前の先住五輪と山伏塚を山上に移し、愛宕と称されました。
大山寺兵火に遭い、僧慶政再興を志し、聖観世音菩薩と共に諸国を勧進し、美甘に至りました。大山寺再建も間もなく再出火したため、観音像は竹元寺に残り、現在に至っています。
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第四十九番
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寶珠山
竹元寺
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高野山真言宗
安元元年(一一七五)、法孫有全師が開山されました。宝暦十二年(一七六二)、門前の先住五輪と山伏塚を山上に移し、愛宕と称されました。
大山寺兵火に遭い、僧慶政再興を志し、聖観世音菩薩と共に諸国を勧進し、美甘に至りました。大山寺再建も間もなく再出火したため、観音像は竹元寺に残り、現在に至っています。
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