当山は天平十一年(七三九)行基菩薩当地巡錫の折、求法の霊地であることを感得され、薬師瑠璃光如来を彫刻され、本尊として安置したことに始まります。
弘仁七年(八一六)、弘法大師は密教を広めるため、この地に留まり、薬師如来の霊光を見られて、本堂の建立を計画されました。
当時近郷は水飢饉で大変困っていたため、お大師様は現在の中郷南の地に井戸を掘ることを指示されたところ、湧水が溢れ出て、住民は等しく感銘を受け、お大師様に協力し本堂が建立され、本尊を安置し、郷城山萬福寺と号しました。
鎌倉時代、建久年間寺運隆盛し、諸坊を建立しました。また仁王門を建立、増長・多聞の二尊を安置して薬師院と称しました。永禄八年(一五六五)毛利・尼子の戦火により、本堂を失うも本尊は難を逃れました。
元亀二年(一五七一) 本堂・住坊再建立
宝永五年(一七〇八) 庫裏再建立
享保元年(一七一六) 本堂改築
昭和五十一年 仁王門再建立
昭和五十八年 水子地蔵建立
平成四年 客殿及び納屋改築 本堂修理 庭園整備落慶
平成十年 梵鐘新鋳・鐘楼新築
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第二十九番
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郷城山
薬師院
萬福寺
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